
「刑法学者・瀧川幸辰」の名を周知せしめたのは、昭和7年に発表されたその著『刑法読本』が、その自由主義的刑法思想のゆえに時の政府の忌諱に触れて発禁処分になったことに端を発する、いわゆる京大事件であろう。この事件は、瀧川博士に対する文部省の休職勧告をめぐって、学問の自由と大学の自治を主張して京都帝国大学法学部の全教官が一斉辞職するという事態にまで発展した経緯から、「瀧川事件」ともいわれている。博士は、まさに、昭和の激動期にみずからの信念と主張を貫いた自由主義者として、今日高く評価されている。
いわゆる主観主義刑法理論が、わが国の刑法学界をリードしていた時代、ことに博士にとって身近な師、先輩そして同僚がいずれも広い意味で主観主義の論陣を張っていた時代に、博士は客観主義・応報刑主義の理論を展開し、刑法は犯人のマグナ・カルタであるとして、人権思想に裏づけられた罪刑法定主義の原則を全刑法体系の基盤におかれた。また、博士は、犯罪論の分野にとどまらず、刑法思想や刑法史の分野にも新天地を開拓し、その理論体系は単なる解釈学者としての域を脱し、むしろ刑法思想家として広く深いものがあり、多くの問題に先鞭をつけられた。同時に、博士の展開した理論は、単なる観念論や理想論ではなく、日常生活の経験に則し、常識を逸脱しない極めて明快なものである。そのことは、また、学問はものごとの本質的な考察をおろそかにしてはならないという、博士の一貫した研究態度からくるものであった。
本著作集は、「自由主義刑法学者・瀧川幸辰」の刑法に関する全著作物を網羅することにより、その学問的業績の全貌を明らかにするとともに、わが国の刑法学の発展に寄与することを期するものである。
東京大学名誉教授(前最高裁判所判事) 団藤重光
弁護士(前大阪高等裁判所判事)中武靖夫
島根大学教授 竹内 正
成蹊大学教授 木村静子
大阪大学教授 大野真義
元大阪大学教授 瀧川春雄